塩浦慎理(しおうらしんり)リオ五輪競泳日本代表

塩浦慎理 1991年11月26日生まれ 神奈川県伊勢原市出身 188cm 90kg A型

AS20140413001710_comm

■リオ五輪 派遣標準突破種目 400mフリーリレー

■イトマンスイミングスクール新百合ヶ丘校 伊勢原市立山王中学校 湘南工大付属高校 中央大学法学部卒業 イトマン東進

■2014年4月より株式会社ナガセ入社

■担当コーチ 高橋雄介

■高校3年時 インターハイ 50m自由形 100m自由形で優勝、全国JOCジュニアオリンピックカップで日本人高校生としては初めて100m自由形において50秒台を切る「49秒85」で優勝する。

■レースで骨折の悪夢

2017年7月ロンドン五輪まであとひと息。夢の実現が、すぐそこまで来ている。周囲も自分も大いに期待していた。それなのに2012年1月、左人差し指を骨折した。

ゴールタッチでタッチ板との間隔が近すぎたのだ。勢い余って壁に指が垂直にぶつかる。塩浦選手によると「水泳ではゴールタッチでの突き指はよくあること」。でも、折れていたとは…

この怪我で70kgあった左手の握力は12kgまで落ちてしまう。<握力70kgはリンゴをつぶせるほどの怪力、一般成人男子の平均は40kg。12kgは小学生クラス>。

五輪選考会まで、もう日がない。思わぬハプニングに気持ちが焦る、タイムは伸び悩んだ。同年4月の五輪選考を兼ねた日本選手権。50m100mともに3位に終わり、五輪切符を逃した。

■引退を決意し、就職活動

「自分が出るなら2012年、ロンドンだ」。高校時代から出場を固く信じて、つらい練習もこなしてきた。目標を失って、船は難航した。

オリンピックに行けないなんて。水泳を続けていく覚悟と意欲が剥がれ落ちた。悩んだ末に始めたのは就職活動だ。

「このまま続けても先がない。水泳は大学で終わりにしよう」。練習が終わると大学開催の就活セミナーに通った。いつだって練習を見てくれた高橋雄介監督(理工学部教授、JOC強化スタッフ)に報告した。

監督の返事は、思いのほかあっさりしたものだった。「そうか、自分のやりたいようにしなさい。自分が一番幸せになれるように。頑張れないというのなら、やっていてもしょうがない…」

きっと“続けろ”と言われる、そう思っていたエーススイマーは拍子抜けした。「こんなもんか」

■日本記録を破られ奮起

プールから上がる決心をした後も、気持ちが曖昧だった。練習に、就活に、どっちに力を入れていいのか、どっちに力を入れたいのか。宙ぶらりんの心のまま、水泳も不完全燃焼で9月のインカレを迎えた。

日本記録を1学年上のライバル、伊藤健太選手(当時中京大 ―ミキハウス)に破られた。「負けたのかな、あぁやっぱり負けた」。隣のレーンが22秒05をたたき出していた。落ち込む塩浦選手に監督が言った。「取り返せばいいんだ」

台座に座っている間は、そこから離れようとすらしていた。奪われて初めてわかった。悔しいと思う自分がいた。見ないようにしていた闘争心が湧き上がってきた。

■北島康介選手の背中を追って…

思えば、周囲の人たちは自分の調子のいいときはもちろん、悪いときにもいつだって応援してくれた。

試合出場で欠席した授業のプリントを預かってくれた友達、つきっきりで指導してくれた監督、切磋琢磨したチームメート、支え続けてくれた両親。みんな自分に期待してくれている。

このまま辞めたら、それって、申し訳なくないか。高橋監督は「頑張れないならしょうがない」と言った。自分が「頑張れること」って何だろう。これまでずっと頑張り続けたことって何だ。自分の居場所は一体どこにある。

アテネ、北京両五輪で金を、ロンドンで銀を取り、リオ五輪選考会まで現泳ぎ続けたレジェンド・北島康介選手の背中が見えた。葛藤の行き着く先は、やっぱりプールの青だった。

背を向けかけていた水泳の世界に再び本気で飛び込み「リオ五輪出場」を決めた。

HAKUMON Chuoより

■試合前にはシェービングを入念に行う。いつもはスネしか剃らないが、日本選手権では。「0.01秒でも速くなるなら何でもしますよ!」とワキも剃る。

■肺活量が一般成人男性の2.5倍あるといわれ50m自由形のレースでは息継ぎをしない

■外部リンク

塩浦慎理-Twitter

塩浦慎理-Instagram

イトマンスイミングスクール

sh!!bash!





コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です