清水咲子(しみずさきこ)リオ五輪競泳日本代表

清水咲子 1992年4月20日生まれ 栃木県那須町出身 156cm 50kg A型

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■リオ五輪 派遣標準突破種目 400m個人メドレー

■みゆきがはらスイミングスクール 大田原市立湯津上中学 作新学院高等学校 日本体育大学出身 ミキハウス

■担当コーチ 藤森善弘

■水泳を始めたのは4歳の時、3歳年上の兄がやっていたのを見て両親に『自分もやりたい!!』とせがんだのがきっかけ。

■中学時代

中学2年になるとより本格的に水泳に取り組むために宇都宮市にある『みゆきがはらスイミングスクール』に通い始める。自宅がある那須町からスイミングスクールまでは車で1時間。週6日の練習には両親が毎回送り迎えをしたそうである。

飽き性な性格であると自己分析する。水泳以外にもピアノや英会話、そろばんを習っていたけれど1番長く続いたのが水泳。個人メドレーに転向した理由も、当初は平泳ぎ専門でしたが平泳ぎの練習ばかりするのは嫌でコーチに『平泳ぎの練習ばかりするのは無理です』と直談判…「それならと個人メドレーを」とコーチから勧められた。

■高校時代

「高校1年の時に、遊ぶことが楽しくなってしまって、練習などに遅れることが多くなり、結果が出ないのが当たり前になっていました。そんな時に母親から、『咲子のタイムが出ないのは、お母さんも悲しい』と言われたことで、私一人の水泳ではないことに気付きました。辞めようと思うこと自体が恥ずかしくなりましたし、まだ何も返せていないと思い、高校時代はそれがきっかけで頑張りはじめました」と話す。

高校3年の全国高校総体(インターハイ)400m個人メドレーで転機となる初めての優勝を経験する。清水は「(母親の)その一言を忘れることなく、練習を積み重ねたことで、インターハイ優勝がついてきたという感じでした」と、勝因を振り返っている。

■大学時代

いくつかの大学から誘いが来るなか、最終的には日本体育大を選んだ。

「当時はインターハイ優勝でちやほやされていたときだったので、自分が一番の大学に行ったらダメだと思いました。ちやほやされると間違っていることでも、指摘してくれる人がいないと思ったからです。それで自分より強い人しかいない日本体育大にしました」

「自分の考えが甘くて逃げたい、辞めたい、練習に行きたくないと思うことはありました。でもそんなのは一日で忘れてしまっていた。今振り返って、生まれ変わってももう一度ここ(日本体育大)に来たいと思います」

と話す。

■2016年度から所属しているミキハウスを選んだのも、学生時代の環境をほとんど変えずにやれることが決め手になっている。4月以降の練習場所は日本体育大のまま、競技に専念できる環境に「選択にミスはなかった」と胸を張る。

■「ここまで来たら可能性がある限りやりたいと思います。自分の可能性を感じるようになってから、リオデジャネイロ五輪も、それが終わった4年後(東京五輪)にも可能性があると思うようになったので、そこも見据えるようになりました」

「自分のことを支えてくれる方がたくさんいるので、その方々に感動を与えることができるようなレースを目指して頑張ります」

とリオ五輪だけでなく東京五輪も見据えている。

■外部リンク

清水咲子-Wikipedia

清水咲子-Twitter





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