渡部香生子(わたなべかなこ)リオ五輪競泳日本代表

渡部香生子 1996年11月16日生まれ 東京都葛飾区出身 167cm 61kg A型

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■リオ五輪 派遣標準突破種目 100m平泳ぎ/200m平泳ぎ

■JSS立石ダイワスイミングスクール 武蔵野高校 早稲田大学

■担当コーチ 竹村吉昭

1955年(昭30)8月28日、京都市生まれ。鴨沂高時代はサッカー部。大体大時代はスキー同好会。79年JSSに入社してから水泳に出会う。2000年シドニー五輪女子100メートル背泳ぎ銀メダルの中村真衣、2008年北京五輪代表の種田恵らの指導を行う。13年5月より渡部香生子を指導する。

■個人メドレーが専門種目であったが中学1年の頃に肩を故障してしまい、その後、肩に負担の少ない平泳ぎをメインへと転向した。

■~どん底から2015ロシア世界選手権 銀メダル獲得までの軌跡~

15歳でロンドン五輪出場も、直前から不振に陥った。13年5月からシドニー五輪銀メダルの中村真衣らを育てた竹村吉昭コーチに師事。強制ではなく、同じ目線で指導するコーチのもと、わずか2年で急成長を遂げた。

ロンドン五輪出場でスーパー高校生と騒がれた夏。渡部の心はボロボロだった。周囲の注目と期待を背に、心と体のバランスを失っていく。小学2年から指導を受け、育ててもらった麻績(おみ)隆二コーチとの関係も微妙なものになっていた。

麻績氏 ぼくは小さい頃からの延長で、頭ごなしの対応になる。それが彼女に重荷になったのかも。

五輪では女子200メートル平泳ぎで準決勝敗退。帰国後も練習には力が入らない。翌13年日本選手権同種目では9~16位決定のB決勝でビリになる。どん底だった。

同選手権後の5月。麻績氏は心身ともに最悪な状況に陥った渡部を竹村コーチに託すことを決めた。

竹村コーチには「苦しい時は頑張っている時。つらい時、しんどい時こそ、笑顔を出そう」と諭された。指導法も上からでなく、同じ目線に立ってくれた。登校前には30分の散歩に付き合ってくれた。

合宿では1日3食、一緒に食べる。腹筋、背筋、懸垂なども会話をしながら、一緒に取り組んだ。

竹村氏 ”言いたいことを言えるように、腹にためないように、互いにしていかないと。何を考えているか分からないことが、一番きつい。「今日どうしたの」「気分はどう」と。”

竹村コーチは好きなゲーム、歌手のテイラー・スウィフトなど、友人のように話を聞いてくれた。

竹村氏 ”相手に合わせた会話をして、自分もさらけ出す。”

コーチへの信頼で心は安定し、練習にも前向きに取り組めた。昨年パンパシとアジア大会の200メートル平泳ぎでは金メダルを獲得。

もちろん、どんなに良好な関係でも常に順風満帆なわけではない。繊細な性格。日常でぶつかり合うこともある。そんなときも竹村コーチは辛抱強く、見守ってくれた。

竹村氏 ”例えば練習でうまくいかなくて不機嫌になる。そんなときは「できなくてもいいんだと。ただやろうとしようよ」と。頭ごなしに“だめだ、何してんだ”と言っても、あっちを向いてしまう。”

注意するときも、一呼吸置いて、考えてから物を言うようにしているという。

竹村氏 ”男子選手には大きい目標を掲げるだけでもいい。ただ女子選手は遠くだけでなくて、足元を照らしてあげないと、何すればいいかわからないところがある。目先の練習の記録、この記録出すためにはこのくらいの練習をしないと。自信を持つためにはどんなことが必要か。こうしたらできるようになるねと。”

世界選手権前も危機はあった。6月からフランス、スペインでの合宿を経て開催地のロシアに入った。初の長期の海外生活。当初は先の見えない不安から「自信がない」とうつむいた。6月下旬のフランス・カネ合宿。竹村コーチから「休もう」と言われ、浜辺に連れていかれた。

「先ばかりを考えず、1つずつやろう。悪いように考えても、結果的にどうなるかわからない。良い方に考えた方が得だよ」と「恋人気分で話した」と竹村コーチ。落ち着きを取り戻し、練習タイムも尻上がりに良くなった。

決勝前、竹村コーチから「足がちぎれてもいいから頑張ってこい」と気合を入れられた。死に物狂いで泳いだ結果、最下位から逆転の銀メダル。

レース後、喜びの涙を流した後「これまでの自分の考え方から変えてくれて、感謝している。これからも一緒に頑張っていきたい」。師弟の固い絆が快挙を生んだ。

■~2016日本選手権を終えて~

おおいに苦しんだ選考会となった。

決勝レースは3日目に100m平泳ぎ、4日目に200m個人メドレー、そして6日目に200m平泳ぎの順。代表権を得ていない2種目を確実にものにすることが大会の目途だった。

結果は、100m平泳ぎは派遣標準を突破して代表権を得たものの、世界選手権で銀メダルを獲得した200m個人メドレーでまさかの3位に沈み代表権を逃した。

200m個人メドレーのあとはプールから上がるのもやっと。そして涙をぬぐい、「最後は全身がつっているのではないかというくらいキツかった。疲労がひどく、集中しきれなかった」と絞り出すのが精いっぱいだった。

しかし大会終了後は、平泳ぎ2種目に集中できると前向きにとらえ、「これでようやくみんなと一緒の条件になった。新たな気持ちでがんばりたい」と前を向いた。

ただ、今大会を見る限り、冬場の練習不足は未だ尾を引いている。それを見越していた竹村吉昭コーチは、シーズン開始には予定していなかった高地合宿を2016ジャパンオープン前に決行。

「やるしかない。徹底的に追い込み、持久力ベースを作ってくる」と毅然として臨んだ。

7月にも当初から予定していた通り高地トレーニングを行う予定だが、それが有意義なものとなり、五輪本番では昨季の様な威力を発揮するか否かは、現在行っていトレーニング次第。

ただ、ここ一番、”やる気ベクトル”が一方向に向いた時の渡部選手の練習はすさまじいものがあるだけに、女王が見せる意地に期待したい。

■外部リンク

渡部香生子‐Twitter

渡部香生子-Wikipedia





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