古賀淳也(こがじゅんや)リオ五輪競泳日本代表

古賀淳也 1987年7月19日生まれ 埼玉県熊谷市出身 181CM 72kg B型

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■リオ五輪 派遣標準突破種目 400mフリーリレー

■5歳の頃、埼玉イトマンスイミングスクール熊谷(現:埼玉スウィンスイミングスクール熊谷)で水泳を始める 熊谷市立富士見中学校 春日部共栄高校 早稲田大学スポーツ科学部卒業

■埼玉スウィンスイミングスクールと所属契約 2010年8月

■式会社デサントと「アリーナ」ブランドで肖像権契約 2010年10月

■第一三共株式会社と雇用契約 2011年1月

■担当コーチ マイケル・ボトム

 

■4年計画でリオ五輪を目指してきた

ロンドン五輪代表選考レースの100m背泳ぎで入江に続く2位になったものの、日本水連が設定した派遣標準記録にわずか100分の5秒及ばず、代表ロンドン五輪切符を逃した。

爪一枚分の差、文字どおりタッチの差だった。古賀は選考レースで負けたその日の夜、米国留学を決意した。

「すべてを一から見つめ直し、変えないといけない」

2012年末、一念発起して米国ミシガン州に飛んだ。ミシガン州アナーバーにあるミシガン大学の「クラブウルバリン」というチームに加入。2013年以降は4年計画で強化プランを練り、現在に至っている。

「4年計画の1年目は肉体改造。2年目はテクニック。3年目は試合に向けて、あるいは試合の中でのメンタルの改善。そして、リオ五輪がある4年目が勝負の年。このようなプランを立てました」

専門種目である背泳ぎでの出場は叶わなかったが400mフリーリレーで初の五輪切符をつかんだ。

■2日間で自己ベストを0秒55縮める

6日夜にあった専門種目の100m背泳ぎで3位に終わり、リオ五輪切符を逃してから一夜。

7日午前に行われた100m自由形予選に出た古賀は、全体の12番目である49秒98のタイムで準決勝に進むと、同日夜の準決勝では昨年4月の日本選手権で記録した49秒80の自己ベストを上回る49秒61をマークし、7位で決勝に進出した。

8日夜に行われた決勝には1コースで出場。前半を23秒74、7位で折り返すと、ターン後にバサロを使う背泳ぎ選手ならではの泳ぎで後半に追い上げ、49秒25をマークして4位になった。

失意から一転、2日間で自己ベストを0秒55も縮めた。背泳ぎ後の青ざめた表情を思えば、奇跡的な巻き返しだった。

結果として、古賀を含めた上位4選手のタイムがリレーの派遣条件をクリアしていた。電光掲示板で順位とタイムを確認した古賀は、1コースから急いで真ん中のレーンへ向かって泳ぎ

中村克(48秒25の日本新で優勝)
塩浦慎理(48秒35で2位)
小長谷研二(49秒07で3位)

と互いに祝福し合った。男子4×100メートル自由形リレーでのリオ五輪出場を勝ち取ったメンバーだった。

■まさかの自由形で五輪へ

勝負を懸けていた背泳ぎで敗れ、失意に暮れてから12時間。古賀が、ごくわずかな時間で再び甦ることができたのはなぜか。そこには、12年末から練習拠点として過ごしているミシガン大学の指導者、サム・ウェンズマンコーチの言葉があった。

古賀は言う。

「100m自由形の予選前の時点では、100mは棄権して、(9日からの)50m自由形に絞ろうかなと思っていたんです。けれどもそこでコーチが話してくれたことが胸に響いて…」

ウェンズマンコーチが古賀に話したのは、「スイマーは、いつも顔を水につけ、ぐしゃぐしゃにさせて練習している。努力せずにこの舞台に上がってきたスイマーはいない。そこに誇りを持つんだ。誇りを持って、100mを泳いでこい」ということだった。

コーチの言葉を聞いて気持ちのスイッチが入った古賀は、無心になって100mの予選を泳いだ。すると、意外と身体も動いて調子も良いことが分かった。そもそも、敗れた100m背泳ぎも、最後に競り合いで焦って失速したことを除けば、身体自体はよく動いていたのだ。

「予選の後は完全に気持ちを切り替えることができていましたし、準決勝で自己ベストを出した後もまだ余力があった。だから”もしかしたら”という希望を持って決勝に臨むことができました。自由形をやっていて良かった」

背泳ぎ専門の古賀が自由形に本格的に取り組むようになったのは、ミシガン大学に行ってからだった。古賀に自由形のポテンシャルを感じたコーチ陣が、この種目でも代表入りを狙うことを勧めた。

練習に費やす時間は、背泳ぎと自由形では8対2くらいだというが、古賀自身もやるからには中途半端ではなく、しっかり狙えるように取り組もうと思いながら練習をした。そうして自然と力がついてきた。

「背泳ぎで行けなかったので悔しい気持ちはあるし、一転してこんなに喜ばしい気持ちになるとは、背泳ぎが終わった時点では思ってもみませんでした。諦めなくて良かったです。それに、日本にいたままだったら背泳ぎだけで終わっていたと思う。新しい選択肢を作ってくれたミシガン大学のコーチや、周りの選手に感謝しています」

29歳で初の五輪舞台を踏むことになる苦労人は、しみじみとそう言った。

Yahoo JAPAN ニュース スポーツ

 

■座右の銘「勝って驕らず、負けて腐らず」

■「どんな時でもTwitterでつぶやいている…」と大のSNSフリーク

 

■集中の仕方を空手から学ぶ

北京五輪出場を逃した後、沖縄に伝わる空手の道場に足を運ぶようになった。

「集中(の度合い)が深いと思う」と古賀は自己分析する。そして「僕のスタートには空手が生きている」。

水泳と空手、一見すると縁のなさそうな取り合わせ。しかし、空手で相手との間合いを見極めることが、ピストルの音を待ち構える間合いに通じるという。

■眠れる潜在力を解き放つ

「人間の体が一番動くときはいつだと思います? 『火事場のバカ力』とあるように、命にかかわる時。

空手で『これで自分が死ぬかもしれない』という状況に触れることで、力を最も発揮する感覚や状態を感じ取れる」。

意識の下にある限界を破り、眠れる潜在力を解き放つ。古賀流の集中と力の出し方だ。

昔、レース前にうつむいて一生懸命に集中している選手を見て、何か違うと思った。古賀が理想とするのは執着を脱すること。

「執着するとほかのことが見られない。執着のない時こそ一番集中している」。勝利のために必要なのも「勝利に執着しないこと」という。

自称「のんきが似合う人間」。水泳だけに全神経をとがらせる風ではない。「スポーツは自分を高めるツール、機能のようなもの」。

そこで結果を出すための思考法、忍耐、過程を学び、成果として金メダルを取る。そんなことを考えながら、泳いでいる。

日本経済新聞  駆ける魂

 

■外部リンク

古賀淳也-Twitter

古賀淳也-Facebook

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